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24.婚約の行方

Aвтор: 杵島 灯
last update Последнее обновление: 2025-06-16 19:16:25

 この緊張と重苦しさをはらむこの空気の中でも堂々としている宰相はさすがなものだが、完全に冷静でいられているわけではないようだ。彼の首筋に汗が伝っているのをジゼルは見逃さなかった。

「……お許しいただけるのですか、女王陛下」

「ええ。まだ正式な婚約を交わす前でしたから、私たちの話は公になっておりませんもの。このような事態が起きても仕方ありませんわ」

 宰相は頭をあげた。ジゼルを見つめる彼の目に一瞬の輝きが宿る。そのタイミングでジゼルは口元を扇で隠し、周囲を見回した。

「――ですが当方としても、ただ黙ってお話を飲むわけには……ね?」

「もちろんです。実は今回の来訪にあたって私は、我が国の王より交易に関するすべての事柄を一任されてまいりました。女王陛下の輝かしき戴冠式の後にはぜひ、そのあたりのお話をさせてください」

「互いにとって良い話ができると期待しておりますわ」

 扇を取り払ったジゼルがにっこり笑うと、眩しいものを見る目つきになった宰相は肩の力を抜き、もう一度深く頭を下げる。もしかすると彼は、自国へ戻れない覚悟を持ってこの国へ来たのかもしれない。

(そんなこと、するものですか)

 相手国は今回の件で花の国に借りを作った。血縁が結べなかったとしても、代わりとなる繋がりを手に入れたのだ。これは今後の花の国にとって大きな力となる。

 それに父の部屋でライナーに抱きしめられたとき、ジゼルは自分の心をはっきりと理解した。

(やはり私は、ライナーが好き。ライナー以外の男性には触れたくないし、触れられたくないの)

 だからこそ今回の破談はジゼルにとっても「助かった」といえるものだった。

 ライナーがジゼルを見てくれることはない。彼の心には既に別の相手がいるのだから。

 ジゼルは、ライナーが自身の象徴花とするほどに想っている『菜の花の女性』のことを心から羨ましく思う。そこまで愛されているのだから『菜の花の女性』だってきっと、ライナーのことを好きになる。いずれ二人は結ばれ、幸せな生を歩むことになるだろう。

 今回の帝国貴族の令嬢も同様だ。

 第三王子へ熱心に婚約を申し入れて叶った帝国の令嬢はきっと幸せになれる。彼女はずいぶんと深く王子のことを想っていたようだから、ぜひとも幸せになってほしいとジゼルは願った。

「貴国の王子と帝国の令嬢は、どこでお知り合いになりましたの?」

「それが、互
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